第28回 美浜町 H様宅「ピッタリの条件が見つかった」

美浜町は和歌山県の中部、日高郡の西端に位置していて、紀伊水道に面している県内で太地町に次いで狭い町です。

今回は美浜町に住むH様宅に取材に来ました。
もともとH様は大阪出身でしたが、2009年4月ここ美浜町で田舎暮らしをスタートさせました。

田舎暮らしを始めたきっかけについて聞いてみました。
もともと大阪では小売業界に勤めていましたが、これからはインターネットは伸びる、と確信し、7年前に起業し、店舗販売とインターネットショップを立ち上げました。

しかし場所は大阪ともなると、家賃や倉庫経費がネックになってきます。
そこでインターネットショップのみにすることで、大阪でなくても倉庫経費が抑えられる田舎でもやっていけるのではないか、そうH様は考えました。
それから近畿一円色々なところを見て回ったそうです。決め手だった併設された倉庫H様の希望に沿う物件にはなかなか出会えなかったのですが、二度目の和歌山で美浜町に来たときは、「ここだ!」というくらい衝撃が走り即決したそうです。
一番のポイントは家と倉庫(事務所)が隣接していることで、ここがそれにピッタリあてはまっていました。そしてもう一つ、大阪とほぼ変わらない気候。
冬でも雪の心配もなく、倉庫に保管している商品も心配ないからだそうです。

インターネットショッピングを始めてもうすぐ1年になるのですが、実はご近所でもH様がインターネットショッピングを運営していることは殆ど知られていないらしいのです。その理由は「お付き合いで買って頂くのではなく、本当にいいと思ってもらった人に買ってもらいたい」という思いがあるからそうです。商品の発送準備中ですまた同様に和歌山での生活も2年目を迎えるのですが、大阪との違いについてお聞きしたのですが、少し意外な答えでした。生活で必要なものは少し車を走らせればほとんど手に入るし、逆に大阪より便利かもというものでした。
確かにここは高速道路のICからほど近く、数キロ圏内には大きなスーパーもあります。
またインターネットショッピングを利用すれば、今や何でも手に入る時代です。
言われてみれば納得の答えでした。
また、「苦労というわけではないけれど、一生懸命走ってきたので、趣味を持つ時間がなかったかな」とも話してくれました。

そんな美浜町がすっかりお気に入りのH様にこれからの将来について伺いました。
「しばらくはここで続けていきたいけれど、年齢を重ねて行くと、また違う生活になると思うので、その時はまた考えていきたい。そういうのも見据えて、いろんなところを見回ったというのもあり、それにピッタリだったのものここ美浜町の物件だった」と話してくれました。

いろいろなお話をしていただいたH様は、次なる夢に向けて、今日もここ美浜町から全国に向けて、買って頂いたお客さまの喜ぶ顔を想像しながら真心を込めて送り届けています。

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第27回 有田川町 鈴木様宅「笑顔あふれるユートピアを作りたい」

有田川町は和歌山県のほぼ中央に位置し、東は紀伊山地、北は長峰山脈、南は白馬山脈、西は有田市に囲まれた東西に細長い形状をしています。
また、空海が高野山を開設した時代に高野有田街道が開かれたことで歴史的な発展が始まりました。

今回は有田川町に住む鈴木さん宅に取材に来ました。
田舎暮らしは12年ほど前から始めていましたが、そのときは仕事の関係で週末や休みの時に限られていました。
そして時間に余裕が出てきた2年前からここでの永住生活が始まりました。築60年過ぎてもなお現役の鈴木様宅12年前といえば、まだインターネットが出始めたばかり。
そのとき田舎暮らしの情報収集といえばもっぱら雑誌からでした。
ちょうど田舎暮らしがブームとなった頃で、田舎暮らしを取り上げる雑誌がたくさん出版されていました。
そして、ある1冊の雑誌との出会いが、鈴木さんを田舎暮らしへと導いたのでした。

当時、鈴木さんは大阪で仕事をしていて、ビルやコンクリートで囲まれた生活でした。
その反動もあり、都会では普段接することのできない自然への憧れを持つようになりました。
歳月を重ねていく毎に憧れが大きく膨らみ、都会の雑踏から離れてのんびりとできたらなあ、と思うようになりました。
そしてそのとき手にした雑誌によって、憧れだった田舎暮らしを実現させるようになりました。
兵庫県や三重県、岡山県や奈良県と色々な場所を見回ったのですが、なかなか条件に合うものが見つかりませんでした。それでも諦めずに探し続け、有田川町に向かっていた途中のトンネルを抜けたときに、鈴木さんの目にパッと飛び込んできた景色に心を奪われました。
「トンネルを抜けた時は、まるで別世界に来たようだった」
その感動に加え、考えていた条件もぴったりだったことで、この場所に決まったそうです。

田舎暮らしで永住を始めてから2年、今年から町内会の役員を務めるなど、すっかり有田川町民となった鈴木さん。
12年前から年に1回の総会には必ず出席し、地元の方との信頼関係を築いてきました。
役員となった鈴木さんは、集落の活性化を目指し、年間を通じてさまざまな取り組みを実施してきています。

まずはワサビ畑の取り組み。集落を流れる澄んだきれいな川が流れていることもあり、ワサビを収穫し有田川町の代表的な作物にしよう、という思いから皆で取り組み始めました。
そして集落の人たちだけでなく、町を離れた息子さんやお孫さんが喜べるように季節行事としてのお花見や夏祭りを開催しました。
これがすごく好評で、「こういう祭りがあるのなら毎年帰って来たい」という言葉もこぼれるほどでした。
他にもいろいろなイベントの実施を予定していて、今では集落に活気が戻ってきているとか。
他にも子供たちが喜ぶ化石採掘プロジェクトも計画中で、実現する日を夢見ています。有田川町で見つけた化石鈴木さんに田舎暮らしの感想を聞いてみると、「来てよかった!」と言ってくれました。
毎日、奥さんが家庭菜園で育てている美味しい無農薬野菜が食べられ、そしてご近所づきあいで生まれる信頼関係、何一つ不自由さや不便さを感じることはないそうです。
「逆に不便なところを楽しむのが田舎暮らしの醍醐味」とまでお話してくださる鈴木さんの顔には笑顔がこぼれるほど今の暮らしの充実さをうかがうことができます。奥さんは家庭菜園をしています村ではまだ若手新米役員の鈴木さんですが、集落を思う気持ちは地元の人たちと同じ、いやそれ以上です。
鈴木さんの夢を実現させる旅はまだ始まったばかりです。

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第26回 美浜町 奥野様宅「素敵な仲間との出会いと広がるつながり」

美浜町は和歌山県の中部に位置し、日高川河口右岸から海岸線に沿って展開する町で、黒潮おどる太平洋や紀伊水道をへだて四国徳島をのぞむ瀬戸内海の南の入り口となっています。
太平洋に面する砂州海岸には、大正末年にこの地を訪れた近藤一路画伯が、雲煙模糊たる長汀と青松の景観を見て名づけられた「煙樹ヶ浜」があり、全長約4.6キロメートル、幅最大500メートルの近畿最大の松林が広がります。

さて、今回取材させていただいたのは奥野さんのお宅。
奥野さんは2年ほど前にここ美浜町のお宅を購入したのですが、仕事の都合上すぐに引っ越せず、その翌年にようやく引っ越すことが出来て、それから奥野さんの田舎暮らしがスタートしました。
玄関からは広がる海が眺められます温暖な和歌山に転居すると決めて、いろいろと見回ったのですが、なかなかいい物件に巡り合えず、ようやく最後に見たここの場所が奥野さんのイメージにぴったりだったそうです。
静かな環境、平屋建て、小奇麗。直ぐに購入の方向で動き始めたとのことです。

奥野さん自身壁を作らない気さくな性格で、普段、犬の散歩を兼ねて、地域の方々とのコミュニケーションの時間を大切にしています。

近所はIターンで来られた方たちが多く、その方たちの積極的な取り組みや活動に、奥野さん自身も参加しています。
また前の家主さんとも今でも連絡を取り合っていて、5月にはその方の知人を含め、活動の仲間、近所の人20名ほどをご自宅に呼んでパーティーを開催したのですが、やはりそこでも人のつながりの大切さというのを実感したそうです。

そういった活動を続けていくことで、出会いの素晴らしさが生きるエネルギーとなり、そして奥野さん自信の支えとなっているそうです。
犬の散歩は大切なコミュニケーションの時間です奥野さんは、かつてご主人がシニア海外ボランティアで活動していたときに出会ったご夫妻の生き方にたいへん共感し、人と人とがつながる素晴らしさ、大切さを感じ、そこから考え方、生き方が変わって、先のようなパーティーを開いてみようと思うようになったのだそうです。

そうお話してくださる奥野さんは、いい仲間に出会えたことはすごく幸せで、良いタイミングで出会ったのは幸運、とは言っていましたが、積極的に活動をしていたからこそ、巡り合えたのでしょうね。
たくさんのお話していただきましたが、どの話もすごく楽しくお話していただき、そして常に笑顔の奥野さんでした。

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第25回 有田川町 由井様宅「直売所で生まれるコミュニティ」

有田川町は和歌山県のほぼ中央に位置し、東は紀伊山地、北は長峰山脈、南は白馬山脈、西は有田市に囲まれた東西に細長い形状をなしています。 また空海が高野山を開設した時代に高野有田街道が開かれたことで歴史的な発展が始まりました。

さて、今回取材させていただいたのは由井さんのお宅。 由井さんが有田川町に来られたのは平成18年の1月ごろ。 今年に入り、4年目の田舎暮らしになります。
有田川町にある由井さん宅由井さんがここ和歌山県有田川町での田舎暮らしを決めたポイントは、アクセスのよさからだそうです。 由井さんの田舎は高知県で和歌山港からフェリーが出ています。そしてお子さまたちは隣接する奈良県です。ちょうど真ん中の和歌山県がベストだったそうです。

そもそもなぜ田舎暮らしをはじめたのかをたずねました。 お仕事をされているときは、普段平日は家の中で過ごす時間より会社にいる時間が多いため、何も感じなかったことが、リタイアされて家の中で過ごすことが多くなったときに、ふと「家が小さく感じる」と思ったそうです。

そう思ったときから由井さんの物件探しが始まりました。 いろんなところを見て回りましたが、やはり立地条件としては見晴らしのいいところ。 そして奈良県にも高知県にもアクセスがいいところ。 これらの条件にぴったりな物件が有田川町で見つかりました。

田舎暮らしを始めて3年。 今では家庭菜園でいろいろなものを作っています。 そしてこれから春、夏にかけていろんな野菜がこの畑で育ち、収穫されます。 また庭の一角には奥さんが育てている花畑があり、こちらも暖かい季節になると色とりどりに咲き乱れるそうです。
暖かくなるといろんな作物が育ちます由井さんが丹精込めて育て、そして収穫された野菜たちは、土日になると有志で建てた近所の直売所で、ご近所の方やそこを訪れる観光客に販売されるそうです。 その直売所で集まることで、ご近所さんとの楽しい会話が生まれ、コミュニティが形成されるのです。
土日になるとご近所さんが集まります 由井さんに今後についてたずねてみました。 まだまだ体が元気な間はここで頑張って田舎暮らしを堪能したいけれど、立地的にここは山の上に位置するので、車がないと生活するには少し困難です。 ですが、ゆくゆくは、もう少し生活に便利な別の場所で、次ぎの田舎暮らしをはじめようかなと思っています、とのことでした。

確かに田舎暮らしをするにあたって、年を経ていくと困難なこともありますが、その場所、土地で出会った人たちとのつながりはいつまでも続きます。 田舎暮らしと一概に言っても、いろんな楽しみ方があるものですね。
みなさまも、人と人との繋がりを強くさせる田舎暮らしを始めてみませんか?

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第24回 御坊市 松坂様宅 「150年前の古民家を移築」

御坊市は和歌山県の中部に位置し、和歌山県紀中・日高地域の中核都市です。 また、熊野古道にも位置しており、宮子姫生誕の地であることから、御坊市をアピールする恒例の夏祭り 「宮子姫まつり」で毎年多くの人で賑わいます。

黒潮の影響で年間を通じて温暖多雨の気候を生かし、主に野菜や花卉が生産されています。 中でも花卉の生産は和歌山県の生産高の四分の一を占め、スイートピー、カスミソウ、スターチスは全国有数の生産高を誇ります。 御坊市にある松坂さん宅さて、今回ここ御坊市で取材させていただいたのは松坂さんのお宅 松坂さんの田舎暮らしは4年ほど前から始まり、最初の頃は月に1回程度の頻度で、そして昨年お仕事をリタイアされてからは定住型の田舎暮らしになりました。

旦那さんはもともと和歌山出身だったこともあって、有田方面や清水方面など住み慣れた和歌山県内でいろんなところを見て回りましたが、田舎暮らしをするにあたっての松坂さんが決めた条件にはなかなか出会えなかったそうです。 その条件というのは、家庭菜園も出来て、釣りも出来る場所。 そしてゴルフも出来て、立地は海沿いではないという条件だとか。

そしてようやくこの場所にめぐり合うことができ、田舎暮らしが始まりました。この場所は松坂さんの条件に本当にぴったりの場所です。高速はすぐそばにあり、少し車で走れば生活に必要なものはなんでも揃うといった非常に便利な場所です。

奥さんは和歌山ではなく東京生まれ東京育ち。 東京とこちらではどちらが便利ですか?と尋ねてみたのですが、意外なことに「近いところになんでもあるので、意外とこっち(和歌山)の方が便利ですね」とのお答えが。 これにはちょっとびっくりしましたが、言われてみれば納得という感じです。 玄関には二重の立派な梁さて、松坂さんの家に注目をしてみると、これはもうたいへん特徴的な造りで、かつて加茂郷にあった150年ほど前の古民家の構造体を、そのままここに移築したとても珍しいお宅でした。玄関に入るとすぐに大きくて立派な梁が出迎えてくれて、どこか懐かしさを感じる雰囲気です。一部の梁は二重構造になっており、頑強な造りになっています。 自然のままの梁を使って建築するのは、今の職人さんには非常に難しいのだそうです。

ふとリビングに目をやると、とても大きな桜の幹をくりぬいて出来た火鉢があり、一瞬で江戸時代にまでタイムスリップしたかのよう。ただし、周囲を見回すと、薄型テレビやオール電化のキッチンなど、最新の電化製品が並べられているので、なんとも面白い光景が広がっていました。 桜の木をくりぬいた火鉢庭に出てみると、数え切れないほどたくさんの野菜が育っている家庭菜園があります。

枝豆やとうもろこし、そして南京、栗や梅などここに書き連ねるのが大変なほど。 家の敷地内にはビニール菜園もしており、家庭菜園にかける情熱が伝わってきます。最初から菜園に詳しかったわけではなく、ご近所の方などの協力をもらいながら、そしてうまくいかないときの経験を活かしながら、ここまで立派に育て上げることが出来たそうです。

日々成長していく野菜たちを見るのが、今いちばんの楽しみでもあり、喜びでもある松坂さん。 松坂さんの情熱をたくさん浴びて、野菜たちもすくすくと育っている、そう感じました。

みなさんも、田舎暮らしで自給自足の生活を始めてみませんか? 大変な苦労の中にも、無事収穫できたときの喜びは他では味わうことが出来ないかも。

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第23回 紀の川市 川口様宅 「野草や虫たちと共生を夢見て」

紀の川市(旧粉河町)は、和歌山県の北部に位置しています。 桃やイチゴ、ぶどう、みかんなどの果物の産地で、大阪からのアクセスもよく、週末には多くの観光客が訪れます。
今回取材させていただいたのは川口さんのお宅です。
もともと大阪出身の川口さん夫妻。
紀の川市で田舎暮らしを始めて早3年目を迎えました。


紀の川市にある川口さん宅

草花・野菜・花木・果樹、多種多様の植物を育てたい。この夢を実現するには広い土地が必要なのですが、大阪で得るのは難しいのが現状です。
そこで田舎暮らしをする場所に、大阪との交通の便が良い紀北地方に的をしぼりました。そのとき川口さんは島根県で働いていたこともあり、和歌山県で見て回るには、泊りがけで来なければならなかったのですが、スエタカの担当者の協力もあって、橋本市から岩出市まで十数件見て回りました。幸いにも2回目で、一目ぼれをした桃畑のある現在の土地を得ることができました。
果樹畑の中にあり、日当たりと展望の良いこの場所は、植物を育てるのに絶好。大阪へも山ひとつ超えるだけで行き来できるので、川口さんの希望にぴったり。
最初桃の木は5本あったのですが、花と実を期待して一本だけ残しました。無農薬栽培を試みたのですが、縮葉病とアブラムシで木は弱ってきました。
花は3年間楽しませてくれたのですが、実は成らなくなり、今年切ってしまいました。ご近所の桃農家さんも話してくれていたのですが、桃の完全無農薬栽培はできないようです。


この桃の木には悩まされました

今、川口さんの畑では、とうもろこし・トマト・オクラ・キュウリ・エダマメ・シシトウ・落花生・大根・ニンジン・スイカ・かぼちゃなど多種多様な野菜を有機栽培しています。
また、アーモンド・栗・イチジク・ブルーベリーなどの果樹も実をつけています。育て方はすべて独学で、子供の時の経験や、本やインターネットで調べて試行錯誤しているそうです。


とうもろこし畑にはたくさんの実が

すると「米作りもしたいので、夢は庭を全部水田に!」と冗談交じりで、笑顔で話してくれた川口さん。
本当の夢は無農薬・無化学肥料・無機械(草刈機・耕運機)の有機ぐうたら農法で、野草や虫たちと共生しながら不耕起栽培することが目標だそうです。
みなさんも昔見たあの景色の感動をもう一度味わいませんか?

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第22回 かつらぎ町 植田様宅 「菜園にあこがれて」

かつらぎ町は、和歌山県の北東部に位置し、平核無(ひらたねなし)柿の生産高日本一として有名です。他にもイチゴや梅、桃やブルーベリー、梨、ブドウといった多くの果物を広く栽培しており、フルーツのまちとして一年を通して観光農園が開設されています。
今回取材させていただいたのは植田さんのお宅です。
植田さんが田舎暮らしを始めたのは3年ほど前。田舎暮らし当初は仕事が忙しくて、ほとんどかつらぎ町に来られない日が続きました。 昨年あたりからようやく仕事も落ち着き始めたため、今では月に数日は来られるようになったそうです。
そもそも植田さんが田舎暮らしを始めたきっかけは40歳代から憧れていた、「畑で野菜を作りたい」という夢を実現するためだとか。
今、植田さんは大阪府に住んでいるのですが、やはり大阪では畑での野菜作りというはとても難しいものがありました。
そのせいもあってか、憧れていた野菜作りの夢をずっと叶えたいと思っていたそうです。
畑のある家を探すため、遠くは岡山県にまで足を運び、いろいろと物件を探し回ったそうです。
和歌山県では旧金屋町も見回ったのですが、畑はあるものの日当たりの問題があったため断念しました。
そして季節は初春を迎える頃、ここかつらぎ町にやって来たときに植田さんは、畑よりもまず咲いていた梅の花の美しさに思わず一目惚れしました。 その後も3、4回ほど訪れ続け、そしてその年の年末に購入することを決めました。


かつらぎ町にある植田さん宅

これでようやく念願の夢だった野菜作りに専念・・・・といいたいところですが、それまでにまだまだやらなければいけないことが残っていました。
というのも、畑にしようとしていた家の庭は野菜作りに適した土壌ではなかったのです。 そのため、畑の土を敷き詰めるためにダンプカーを使ったり、近所の方々に手伝ったりしながらようやく畑作りは完成しました。
しかし、植田さん、実はこれまで野菜作りをしたことがありません。 そのため勉強するためいろんな本を読んだり、そして近所の人にいろいろと教えてもらったりしながら、着々と夢への実現へ向けて進んでいきます。
今となってはその甲斐もあってナスやきゅうり、ピーマンなど数多くの野菜を育てることが出来ました。初めての野菜作りということもあり、失敗もありましたが、その失敗を教訓に、来年こそは立派な野菜を育ててやる!と植田さんは意気込んでいます。


一目ぼれした梅の木

息子さんやお孫さんたちが休暇でかつらぎ町へ訪れたときには、その採れたての野菜を使ったーベキューで楽しんだり、ジャガイモ掘り体験で遊ばせたりしているそうです。
40歳代の頃からずっとあこがれていた田舎暮らしでの野菜作り。 その念願の夢が叶い、今では時間があるときは一日中ずっと土をいじっているそうです。
土をいじっている姿はまるで子供が無邪気に遊んでいるような、そんな風に見えるほど植田さんからは笑顔がこぼれていました。


独学でここまで育てました。すごい!

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第21回 紀の川市鞆渕 Y様宅 「エコへのこだわり」

紀の川市(旧粉河町)は、平成17年に5町が合併して誕生した市で、和歌山県の北部に位置しています。
桃やイチゴなどの果物の産地であり、また鞆渕地区は初夏になると夏の風物詩であるホタルが飛び交うスポットで、関西から多くの観光客が訪れます。
今回取材させていただいたのはYさんのお宅。Yさんがここ鞆渕で田舎暮らしを始めたのは今から約2年前。
田舎暮らしをするきっかけは環境共生への強い思いから。大好きな旅行に出かけては、豊かな自然や、その土地に伝わる古い歴史、そして文化にも触れ合ってきました。そして旅行に出かけてはさまざまな場所の下見をしていたそうです。 これまで過去に九州、東北地方と住んでいて、今回関西に住むのは初めてだとか。
高野、熊野古道といった歴史ある和歌山で田舎暮らしと考えていたYさんですが、南紀地方には、思い描いているイメージとはどこか違いピンとこなかったそうですが、この鞆渕の物件を見せてもらった瞬間、思い描いていたイメージ通りにぴったり当てはまったそうです。
ここ鞆渕地区はとても静かで、夜には星がきれいに輝き、とてもきれいな空気と水があります。立地条件もよく、気候も快適なところがお気に入りだとか。
鞆渕では初夏の季節になると多くのホタルが飛び交い、夜の鞆渕をとても美しく彩ってくれます。
そのホタルを見るため、多くの人たちが鞆渕を訪れるのですが、実はYさん、ここがホタルの名所と知らなかったそうで、引っ越してきてからホタルの名所と知ったそうです。 自宅にいながら数多く飛び交うホタルを眺められる家なんてうらやましいですね。


エコにはとことんこだわっています

Yさんの環境共生の想いは、今お住まいになっている家からも伝わってきます。 自然素材にこだわりたかったYさんがお住まいの家は「ログハウス」です。「自分たちで住む家だからこそ、自分たちでも家作りを手がけたい!」という想いを持ってはいたのですが、大工経験がなかったため断念せざるを得ませんでした。
しかし、ペンキ塗りならば経験がなくても出来る、ということで大工さんと一緒に自分たちのログハウスを作り上げました。
その共同作業から自分たちも家作りに参加したという満足感と大工さんとの間に生まれた一体感が何よりもうれしかったそうです。
Yさんは「和歌山エコビレッジ研究会」にも積極的に参加し、環境共生を思う仲間たちと共に、和歌山でのエコビレッジの実現を目指しています。 まだまだエコへの想いは尽きることがありません。


昨年末についたお餅で鏡開き



家全体が木のぬくもりに包まれてます

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第20回 田辺市中辺路町 内田様宅 「夢を見続けて」

田辺市(旧中辺路町)は、かつては和歌山県西牟婁郡にあった町で、富田川上流域と日置川の最上流域を含み、北側は奈良県に接して果無山脈の南半分を含む地域で、平成17年に田辺市、本宮町、龍神村、大塔村と合併し近畿では最大の面積を誇ります。
旧中辺路町は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称である熊野古道の主要部分(滝尻―近露―大坂峠)を含む地域でもあり、海外、全国から多くの観光客が訪れます。
今回取材させていただいたのは内田さん宅。 内田さん夫妻が旧中辺路町で田舎暮らしを始めたのは今から5年前。現在は月の3分の1くらいはここで過ごしています。
内田さんが田舎暮らしを始めたきっかけはというと、若い頃に持っていた「水辺の近くで池を作り、犬を放し飼いできるような広大な土地を持ちたい」という夢をかなえるためだとか。
その夢の実現のために奈良県や三重県そして和歌山県と数多くのいろいろな場所を探し回った決めたのがここ旧中辺路町でした。


夢を実現させたビオトープ

田舎暮らしをする上で内田さんが求めたものは広大なひと続きの土地。 千坪の土地を飛び地ではなく、ひと続きであることが条件だったそうで、その条件をクリアしたのが今の場所だとか。
そして母屋の下方には未完成ではあったのですが12m×7mほどの大きな水槽があり、池を作るという夢を実現させるにはもってこいの環境でした。
内田さんがここに決めてまずはこの水槽を完成させることから始めました。 大水槽だけでは物足らず、今度は水郷を作りたいと思い立ちました。
幸いにもここにはもともと田んぼがあり水利権もあったのに加えて、谷からは安定して流れている水があります。
家の周りを取り巻くように池を作り、その池にホースを使って谷から流れる水をためます。そして池に谷水が満杯になって溢れたら次の池に注ぎ込む、そうやっていくつもの水郷を経由して、最終的に大きな水槽に水がたまる仕組みになっています。


谷水を大水槽まで引っ張ってきます

これで夢の一つである池作りは実現したのですが夢はまだまだ続きます。 今度はその大水槽の前に桜の木を植え、そしてそこに続く40mの道にも桜を植え並木道にしました。 さらにその横には梅林を、またさらに山には椿の森を作っていきました。
内田さんはまだまだビオトープへの夢に情熱を注ぎ込んでいきます。
また新たにビオトープ池の原型を一つ掘り、そこに桜やアジサイ、紅葉を植え、四季折々の花見が出来るビオトープを考えていて、そしてその池でドジョウやフナやメダカ、そしてその池の周りを飛び交う蝶やトンボ、そして夜にはホタルが飛び交うようなビオトープをつくり、内田さんが子供の頃に親しんだ自然を再現させたいと考えています。


大水槽にはたくさんの金魚が元気に育ってます

夢を見続ける内田さん。その話をする内田さんの顔からは子供のような笑顔がこぼれていました。

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第19回 海南市 田中様宅 「きれいな空気ときれいな海と豊かな自然と」

海南市は、和歌山県の北西部に位置し、北は和歌山市・紀の川市、東は紀美野町・有田川町、南は有田市に隣接し、西は紀伊水道に面しています。四季を通して温暖な気候に恵まれていることから、南部ではみかん栽培、北部では桃の栽培が盛んです。 また黒江地区周辺は日本四大漆器の一つでもある「紀州漆器」の産地としても知られます。
今回取材させていただいたのは田中さん宅。
田中さん夫妻が海南市で田舎暮らしを始めたのは昨年の11月くらいから。それまではずっと大阪で暮らしていたということもあり、きれいな空気、そして豊かな自然に囲まれて暮らす田舎暮らし生活には強い憧れを抱いていたそうです。


時代を感じます

田舎暮らしを始めようと決めてからは、岡山県や兵庫県などさまざまな場所を見て回ったらしいのですが、海が近いこと、静かであること、そして自然に囲まれ空気がきれいであるという条件だけでなくやはり大阪から近いという条件で探すと、この場所がそれにぴったりだったとか。
実は田中さん、海南市は初めてではなく、結婚する前から大好きな釣りをするために何度か訪れたことがあるんですって。
なので、海南市は大阪からのアクセスのよさや、海が近いこと、そして自然が豊かで空気がきれいということを知っていたらしいです。
外に出てみると広大な面積の畑があり、そこではいろいろな野菜や果物を育てていました。
今年はもうすでにすいかやうりを収穫したそうです。
今は週末利用の田舎暮らしのため田植えなどの農作業は出来ないのですが、とうもろこしやわけぎ、じゃがいも、さつまいも、そしてみかんや桃やメロン、さくらんぼとたくさんの種類を育てています。
でも2年先くらいにはここに定住して、田植えにも挑戦していきたいと話してくれました。
と、ここまで聞くとすでに以前にも育てていたのかと思ったのですが、実は畑で育てるのは初めての経験だとか。大阪に住んでいるときには、プランターで育てたことがあったらしいのですが、畑で本格的に育てたことはなく、その育て方のノウハウは地元の方にいろいろと教わったそうです。


友人からもらったみかんの苗木

それ以外の場所を散策してみますと、自然のたけのこや栗の木が育っていて、これを収穫すれば旬の味覚も楽しめるとのことで、なんともうらやましい限りです。


秋には栗ご飯も楽しめます

まだまだ田舎暮らしを始めたばかりで、いろいろとしたいことが多いそうですが、その一つとして、いつかは薪で炊いたお風呂に入りたいと釜風呂を作る予定をしているそうです。
お孫さんが大きくなって遊びに来た時には、自然とたくさん触れ合えるような遊べるような場所にもしていきたい、と話してくれる田中さん。
まだまだ田舎暮らしの話は尽きません。

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